「明日死ぬかもしれない」と思って生きる




先日はすごい雨でした。

前回のブログの冒頭でも書いたんですが、

予想どおり翌日のニュースを賑わすほどの被害が出ました。

 

心配してくれてメッセージを頂いた方、ありがとうございます。

いや、ほんと、ありがたいなと思いました。。。

 

庭は今までにない大きな水たまりができましたが、

我が家は全員無事でしたし、

家も庭も、花や木も無事でした。

 

さてさて、、、今日はちょっと個人的な話を書きます。

コラムみたいな、まあ変な話です。

ひまつぶしにどうぞ。

 


浸水のニュースを見て衝撃を受けた

しかし、翌日のニュースを見て驚きました。

どこかで見覚えのある街並みが写っていたからです。

あー、その辺はよく車で通ったな、というくらい、

なじみのある風景が水没していたのです・・・。

 

先日の武蔵小杉の浸水もそうなのですが、

身近な地域が被害に遭って破壊される光景と言うのは、

なんとも恐ろしいものです。

 

似たような感覚と言えば、東日本大震災の時を思い出します。

あの時は沿岸部の液状化がすごかったですからね。

グニャグニャのボロボロになった歩道を見ると、

何とも言えない不気味さだけが心に残った記憶があります。

 

2011年3月11日の決意はどこへ行った?

東日本大震災の時のニュースの津波の実況中継は、

この世の終わりが来たのかと思うほどの衝撃を覚えました。

あの災害(映像)でPTSDになった人が多発したのも頷けます。

 

一般の人がYoutubeにアップしている津波レポートも、

今となっては非常に参考になる資料として冷静に見ることができますが、

当時、現地で何が起こっていたかを確認するために見た時には、

見てるだけで怖くなったものです。

 

でも当時、思ったことがありまして、、、。

こんな大災害があって、1万人以上の人が亡くなったわけです。

「なにかの転換点かもしれない」と思ったのです。

自分の生き方を見直そう、などと思ったのです。

 

でも、振り返ってみると、そう思ったのは震災から1、2か月までで、

すぐに仕事などの日常に忙殺されて、

結局、今まで通りの毎日をすごしてきたのです。。。

あの時の決意はどこに行ったのでしょうか?苦笑

 


2015年と2019年に何が起こるのだろう

日々、未来のことを予想・予測しながら人は生きているわけではありません。

「行き当たりばったり」とまではいきませんが、

予想・予測しないことが起こるのが人生なわけです。

 

もちろん、未来の為に保険に入ったり貯金したり、

勉強して知識を身に付けたりすることもあるのですが、

そういう社会通念上ごく一般的な未来予測とはまた別に、

なにか起きそうだなって思う時ってありませんか?

 

恐らく、誰もがあると思うのですが、

何の意味もないけど、なんとなく2020年が節目だな、とか。

2041年が気になるな、とか。

個人的には2015年と2019年が節目だなってのがあったんですよ。

何年も前からずっと。

 

今思えば脱サラして独立してから10年目が2015年なのですが、

そういう節目の意味じゃないんですよね。(つーか、10年か、ホント今、気が付いた。笑)

 

すごくわかりやすく言うと、

「2015という数字が気になる」

「常に2015がチラチラする」

という感覚です。

 

本当に世の中に何か起きたら預言者だ・・・

何が起こるとか、そういうのはわからないのですが、

「危機」なのか「機会」なのかわからないけど、

2015年と、2019年が何らかの「節目」になるだろうと思っていたのです。

 

なんとなく覚えてるんですが、

2007、8年くらいから気になってました。

田舎暮らしを始めて2、3年後くらいの時です。

妻と結婚する前です。

 

別になにかの本で読んだわけでもないですし、

基本的には何の根拠もないんですが、

なんだかその年号の「数字」が意味ありげに思えたのです。

 

それは政治や経済の変化だったり、

僕の仕事であるIT分野のイノベーションだったり、

まあ、なにか社会が変わるようなことがあるだろうと勝手に思っていたんです。

 

でも、2015年で自分史上もっともショッキングな出来事は、

「父が倒れた」ということだったのです。

意識不明のまま3年間、施設におりまして、2018年に亡くなりました。

 

僕の中で2015年という数字は常に頭の中にあったので、

父の事件が起こった日に、真っ先に「これか!」と思いました。

そして、

「なぜ、これなんだ、そんなバカな・・・。」

と、ずっとイラ立っていました。

 

そして意識が回復すると信じてましたがダメでしたねえ・・・。

住林の新築は見せてあげられませんでしたねえ。。。

 

しかし、こういう個人レベルの虫の知らせ的なことって、

往々にして起こるんだなと思いました。

 

でも、それが大地震の前兆だったり、または戦争などが起こったりしたら、

そして、そんなことが事前に察知できたら、それは預言者です。

ノストラダムスです。(なつかしい。)

でも、だったら、2015年よりも2011年を察知してほしいものです。

 

当然、そんな大きな世の中の変化なんて察知できるわけがなく、

単に自分の身近で何か大きなことが起こったのですが、

でも、改めて「こういうことって、あるんだな」と思ったのでした。。。

 


2019年は東日本大震災級の地震が起こると思っていた

そして、今年は2019年です。

これも先ほど書いたんですが、不思議と2008年ごろから気になってました。

たしか妻にも年号を伝えてますが、きっと忘れているでしょう。笑

 

僕は、2019年は大きな地震が来るとずっと思ってました。

2015年は父が倒れましたが、2019年はとくに個人的なことが何もないからです。

うん、何も思い当たらない。

 

2015年を振り返れば、確かに父も高齢となり、

前々から体力がなくなってきているなと感じていました。

2014年の積水ハウスの新築の時も、「体調がすぐれないから長距離移動が疲れる」という理由で、

父だけ新築を見に来なかったですからね。。。

 

でも、2019年はなにも思い当たらない、

だから、大丈夫かなって思っていたのです。

いや、大丈夫というか、今度こそもっと大きな何かがあるのではないか、

そうだ、地震だ、地震に違いない!

そう思っていたのです。

 

とくに今年の春から夏くらいまで、

なんとなく不穏な感じがずっとしており、

夏の終わりか秋くらい(特に8月)に、

いよいよ地震が来るのではないかと思っていたのです。

割と本気で。苦笑

 

twitterを更新せずに、

地震のツイートをしばらくずっと残して更新しなかったのは、

注意喚起しておこうと思ったからなんですよ。

幸いなことに、大きな地震は起こりませんでしたけどね。

 

でも、2019年はまだ残ってます。

油断できないですからね、注意するに越したことはありません。

 

結局、台風だったのだろうか、いや、コロリさん・・・

と、安心していたところに何が起こったかと言うと、

まさかの台風の直撃でした。

 

長期停電といい、微小ではありますが家や外構の破損。

まさか自分が被害に遭うとは思っていませんでした。

 

そこで初めて、2019年は地震ではなくて台風だったのだろうか?

そう思いました。

 

正直なところ、(若干不謹慎ですが)子供の頃は、

台風が来ると学校が休みになったので、

内心嬉しかったくらいの台風です。

そんな台風(15号)を生まれて初めて「怖い」と思った夜でした。

 

それだけではありません。

このブログではいつ報告しようかと思って迷いましたが、

2度目の台風(19号)の夜にコロリさんが亡くなりました。

既に、いつ亡くなってもおかしくない状態ではあったんですけどね。

コロリさんは星になりました

こういうことがあると色々考えます。

偶然か何なのか、15号と19号って、2015年と2019年と数字的に重なる、とか。。。

こういう偶然って怖いですね。

偶然は偶然でも「意味のある偶然」って人を色々と考えさせる理由になるのです。

 


ほんとに色々と重なるねえ・・・

一昨日でしょうか、妙に朝から胸騒ぎがしたのです。

歳をとるとその日の体調やストレス、

不摂生などで期外収縮という不整脈が起こるケースがあるそうで、

きっとそれだと思ったんですが、

どうもソワソワして落ち着かないのです。

 

とはいえ脈を測っても普通の速さなのですが、

わかりやすく言うと、

「自分のスピーチの出番とか、プロ野球開幕とかを待ってる時のワクワク?ソワソワ?した気分」

だけがあるのです。

その時、「おじさん大丈夫かな?」ってふと思ったんです。

 

そしたら昼過ぎに母親から電話があって、

「おじさんが亡くなったらしいよ」とのこと。

俄然ビックリして、思わず母親に、

「そうだろうと思ってたんだ!」

と言ってしまったくらいでした。

 

とはいえ、おじさんは父の兄でして、

随分と前からガンに侵されていたので、

こういうことが予想できなかったわけではありません。

 

高齢になるとあちこち自然発生的にガンができるみたいですね。

なので高齢になると抗がん剤でがんと闘うんだ!徹底抗戦だ!

ということをしない選択をする人が多いそうです。

 

抗がん剤を使わないので、意外に長く生きるそうですよ。

樹木希林さんのような感じですかね。

おじさんも長生きでしたよ、だって亡くなった父の兄ですから。

 

だったらガンっていったい病気なんだろうか?

ただの老化の一種なのかって思っちゃいますが、

でも、体を弱らせる要因であることは間違いないですね、

ついに旅立ちの日が来たようです。

 

しかしコロリさんといいおじさんといい、重なりますね。。。

低気圧は弱っている人の体調をさらに悪化させることがあるというのは、

世の中的に、というか、お医者さんもよく言われていることです。

 

もともと体調が危うかったコロリさんはまさにそうでしたし、

おじさんもまさにそうですね。

しかし、重なるなあ。

2019年の自分的な意味は、台風、いやコロリさんなのか・・・。

 

今日の決意はいずこへ・・・?苦笑

同じ胸のソワソワは、意識不明だった父が亡くなった日にもあったので、

胸の部分には何かセンサーでもあるんだろうかと思った次第でして。。。

 

そういう理解に苦しむ話を抜きにしても、

やっぱり2019年は僕の中で大きなインパクトを残す何かがあったわけでして、

それはそれで「事実」なわけです。

 

たとえ、アホみたいな話でも、

2015年と2019年の話は、ぼくにとっては「事実」なわけです。

 

なので、これを看過できないのです。

やっぱり色々と考えるわけです。

 

考えなくてもいいのに、やっぱり考える。

2011年3月の東日本大震災に似てるんです。

なにかを決意する時です。

 

でも、その決意はやがて日常に忙殺されてしまうんですが、

今日はふと思いました。

別に決意は節目にしなくてもいいよねと。笑

もちろん節目にするからこそ「固い決意」になるのでしょうけど、

別に今日も明日も何かを決意したっていいだろ?と思ったのです。

 

ていうか、「決意」という文字を使うからには、守れよ、と。苦笑

そういう話ですよね。

必ず守る決意なら、いつ決意したって同じことですし、早い方がいい。

 

むしろ明日、災害があるかもしれないし、

死ぬかもしれない。

明日死ぬかもしれないと思って生きれば、

毎日が固い決意になりそうです。

 

自分にとってプラスになる、向上できる、

本当に自分らしさを出すための決意なら、

毎日決意したって良いし、むしろ、その方がいい。笑

 

ほら、もう深夜1時です。

「何が何でも0時までに寝る」という決意はどこへ行ったのでしょう? 笑