マイホームと亡き父の思い出

本日は雑談です。

先日、実家と自宅を往復してて忙しい~的なことを書きました。

実は父親が亡くなりまして、そのため葬儀や法要、事後の手続きなどでバタバタしていたのです。

まあ父親も高齢ですし、いつかは・・・と、思っておりましたが、ついにこの日がやってきてしまったのでした。

 


3年ほど意識不明状態

父親は2015年の正月でしたでしょうか。

帰省して自宅に戻った1月の半ばくらい、急に動けなくなったと母から連絡がありまして。。。

結局のところ原因不明だったみたいですが、朝起きたら急に布団から起き上がれなくなったそうです。

本人は「風邪だと思うので寝ていれば治る」と言ってたみたいで救急車を呼ばずにそのまま寝ていたようですが、トイレにも行けない状態。

さすがに3日もその状態だったので、救急車で病院に搬送することとなりました。

病院に行けばよくなるだろうと思ったら、風邪(?)のウイルスだか、病原菌?だかが特定できず、どの抗生物質が効くのか、よくわからかない状態とのこと。

順番にあれこれ試して、どれが効くか効果を見ていくとのことで、そうこうしているうちに日に日に容体は悪くなるのでした。

そして、ついに肺に水がたまるようになってしまったのです。

それでもやっぱり抗生物質が効かないし原因不明という状態が続き、ついに肺がやられて呼吸困難になり、結果として脳に酸素がいかず意識障害が出てしまったのです。

それ以来、人工呼吸器を付けて、意識不明の状態が3年ほど続いていたのです。

病院に行って益々悪くなるってどういうことよ!?

って当時は病院を恨みましたが、今はお医者さんも頑張ってくれたんだよなって思ってます。(思うしかない。。。)

 

人工呼吸器をつけた人もOKな介護施設って少ないのです

ちなみに、病院という施設は、治療できない人を長くベッドに置いておくことはできないそうで、まもなくして介護施設に入所するよう促されました。

病院って無慈悲で非道だなと思うかもしれませんが、治療すれば助かる患者さんを優先的に収容する方が、ある意味で社会正義なので、仕方ないことなのです・・・。

とはいえ、なかなか人工呼吸器を付けている患者さんを収容してくれる介護施設は少ないです。

が、なんとか実家から車で40分ほど離れた場所に良心的な介護施設を見つけまして、そこに3年ほど入所することになったのです。

 

・・・「良心的」って書いたのは理由があります。

もう1件だけ車で30分以内という条件で見つけた施設があったのです。

そこは、比較的新しい施設で、管理がしっかりしているところでした。

しかも、営業担当者がいて、そこそこ大きな経営母体の施設でしたので、価格は高いですが安心感がありました。

でも、なんだか営業担当者の雰囲気が、お金儲け主義で冷たい感じがしたのです。

 

そこで初めてのことで不安もあったので、施設の管理体制とか、心配事をいくつか母親が質問したのです。

その中の質問の一つが気に入らなかったのか、またはいくつかの質問に答えるのが面倒だったのか、その営業マンが笑顔で放った冷酷な一言。

「入所したい人はたくさんいますから、いろいろ気になるようでしたら、別にお断り頂いても結構ですよ。」

これを聞いて、母親は少々ショックを受けたみたいでして。。。

僕は正直、こいつ「カス」だ、と思いました。

 

なので、いくら受け入れ施設が少なくて客を選べる立場だとしても、そういうことを言うかなあと。。

初めてのことで不安いっぱいの家族の質問にも答えられないような施設は絶対にないなと、早々に断りを入れました。

でも、逆に考えると、こういう高飛車な施設があっても不思議ではないなと。。。だって商売ですから。。。

結果、もう一つの施設が対照的にすごく良心的に見えて(笑)、結果、その施設に入所することとなりました。

ていうか、選択肢はそれしか無かったんですけどね。

 


実家のリフォームをどうしようって時でした

父親が意識不明になってしまった、ちょっと前くらい。

実家ではリフォームをするかどうかと議論が続いておりました。

母親はリフォームしたい派

一方で、父親は、リフォーム反対派

前にも書きましたが、父はそもそも「家」にまったくといっていいほど興味がないのです。

 

それに、長男の自分も、次男の弟も実家を出て自分の家を建ててしまっているので、父は自分たちのためだけにリフォームするなんて無駄だと考えていたのです。

とはいえ、当時はまだ父も75歳、これから10年、もしかしたら20年と生きていくわけですからね。

水周りとかリフォームした方がいいんじゃないのって思っていたのです。

でも、とくに父が反対していたのはトイレが洋式になることみたいでした。

そうです、ウチの実家は和式トイレだったのです。

自分なんかは洋式に慣れちゃったので、帰省するたびに和式トイレが苦痛で仕方ありませんでしたが、まあ用を足すのに、不可能ではありません。

父親は、洋式では絶対に用を足せないと、頑固に言い張っていたのです。笑

まあ、これは「頑固」という言葉では片づけられないですからね、実際問題やってみてどうなのかという話ですからねー。

 

父の回復は99.999%見込めない状態

そういったリフォームをどうするかと紛糾していて、父も渋々リフォームを認めた直後に父親が倒れました。

そして意識不明の父親が回復するかどうかというと、99.999%見込みはありません。

実際、酸欠状態が続いたときに大脳だけでなく小脳もやられてしまったそうなので、呼吸さえ自分でできないのです。

とはいえ、わずかな望みを抱きつつ、っていうか、祈るしかないんですが、そのうち、回復すればいいねと思っていたのは確かです。

でも今、実家に住んでいるのは母親だけであり、依然として水回りの不便さを抱えているわけですから、なんとかリフォームを進めたいなあと思うわけです。

父親が回復して戻ってきたら、怒るかなあ?なんて会話もしましたが、そもそも戻ってくる可能性は非常に低いです。

なので、今住んでいる母の利便性を第一に考えようということで、父には申し訳ないのですが、リフォームを決行したのです。

 

ちなみにリフォームは自治体の耐震リフォーム補助金制度も活用しました。

築年数の古い家の耐震リフォームに対して補助金を出すという制度ですが、こういう制度を実施している自治体は多いと思います。

というわけで、耐震リフォームと一緒に、水回り(トイレ、バスルーム、キッチン)も一緒にリフォームしたのです。

 


父が話していた「実家を購入した理由」

昔、父親から自宅購入のきっかけを聞いたことがありました。

僕が生まれた時は、団地に住んでいました。

僕も2歳くらいでしたが、うっすら覚えています。

とくに、鳩の鳴き声と古びた風車が非常に印象深く記憶に残っていて、周辺にはのどかな風景が広がる田舎の団地でした。

そしてまもなく弟が生まれまして、そこで初めて、家でも買おうかという話になったらしいです。

でも、本当は父は「マイホームなんかいらない」と思っていたらしく、母が言うので仕方なく家を買ったと言ってました。苦笑

なので、今の実家は弟と同い年ということになります。

そして住宅ローンは20年ローンだったと言っていたような記憶があります。

当時は35年ローンってなかったんでしょうかね。

なので、ローンは僕が大学時代、そして弟が成人を迎える時に完済。

その時は両親も「ずいぶんラクになった」と言ってましたねー。

とくに、昔は高金利でしたから、買った金額の2倍を支払ったと言ってました。。。(今思えば、すごい金額…。)

まあ、逆にその分、昔の郵便貯金の定期とか、高金利の恩恵でビックリするくらい増えてましたけどね。苦笑

 

反動で家を4回も買うことになったのかも!?笑

マイホームにも興味ない、リフォームにも興味ない。

なので、父親と言えば無趣味な印象で、強いて言えば、本(読書)と庭いじりくらいしか趣味がないのではないかと。

実際うちの実家は父の本だらけで、リアルに2階の一部屋が本で埋まってました。

でも、庭は緑でいっぱいで、日曜になると土いじり、庭いじりです。

はっきりいって、僕が子供の頃は、本も庭もどちらもまったく興味なかったんですが、今は自分が「本大好き」で「緑大好き」状態です

親子は内面も似るのです。苦笑

同様に、自分は「家=マイホーム」について、昔は父と同様に興味なかったんですが、田舎暮らしで変わったかもしれません。

本当の話、田舎暮らしするまで「家」とかほとんど興味なかったんです。

でも、自分の家を建てる、その経過を見ることになって、初めて「家づくり」って面白いなあと思ったような気がします。

 

ちなみに実家の家は「建売」なので、両親はゼロからの家づくりの楽しみは味わえなかったと思います。

ていうか昔は今と違って注文住宅って高嶺の花だったようなのです。

いや、もしも注文住宅だったとしても、ウチの両親は家とか興味もたないだろうなって思いますねえ、性格的に。。。

 

自分の場合、そういう物質的な欲求の薄~い家庭に育ったので、その面白さを大人になって知ってしまったという感じがします。

良いか悪いかは別として、そんな理由も少々あって、家を4回も買うことになったんだろうなあと。。。苦笑